安徽省の歴史文化

    安徽省は歴史的原因と地形、地勢の特徴から、それぞれに特色ある3つの文化圏を形成している。

    徽州文化:徽文化とも呼ばれ、中国三大地方文化の1つだ。徽文化とはかつての「古徽州1府6県」(現在の黄山市、績渓県、江西省の婺源県)の物質文明と精神文明の総和であり、安徽文化と同じ意味ではない。

 

 

    徽州文化は地方の特色を非常によく備えた地域文化で、その内容は広範で奥深く、中国の後期封建社会の民間経済、社会、生活、文化の基本内容を持ち、中国後期封建社会の典型的サンプルとされる。学術界はこれについて、少なくともほぼ1世紀にわたり研究を進めており、敦煌学、チベット学と並んで世界的に有名な中国三大地方学の1つとなっている。

 

 

    徽州文化は内容が豊富で、それぞれのレベル、それぞれの分野で独特の学派と風格を形成しており、新安理学、徽派朴学、新安医学、新安画派、徽派版画、徽派てん刻、徽劇、徽商、徽派建築、徽菜、徽州茶道、徽州方言などがよく知られる。

 

 

 

 

    桐城文化:代表的人物は方苞、姚鼐、劉大櫆、姚瑩、呉汝綸など。桐城派は文学流派の1つで、その影響は広く、歴史も約200年続いた。代表人物が多い(集まった散文家が1200人余りと多く、残っている作品も2000作以上となっている)など、同じ時期としては、中国でも比較するものがないほどだ。

    淮河文明:河南、安徽、江蘇にまたがる淮河文明は、斉魯文化、楚荊文化、呉越文化と並立し、お互いに影響しあった。新石器時代の遺跡が淮河流域に分布している。河南新鄭の裴李崗遺跡の出土品は今から8000年以上前のもので、黄河流域の仰韶文化より1000年以上早いものだ。

    四大伝統劇

    黄梅戯:湖北黄梅県の発祥のためこの名がある。京劇、越劇、評劇、豫劇と並んで五大中国伝統劇の1つに数えられる。「黄梅調」とも呼ばれ、古くは「採茶戯」と称された。唱法は純朴でなめらか、明快で感情をよく表わし、豊かな表現力を持つ。その演技は質朴できめ細かく、真に生き生きとしていることで知られる。

    泗州戯:もともとは「拉魂腔」という名前で、安徽省内の淮河両岸で流行し、200年以上の歴史を持つ。優美な唱法、心を打つ旋律で淮河両岸から長江両岸で親しまれる。

    廬劇:旧称は「倒七戯」で、曲調はさわやかで素朴、優美で感動的だ。

    徽劇:重要な地方伝統劇で、安徽省内から江西省婺源県にかけて流行した。清代初めには、安徽省から江蘇省、浙江省一帯まで広く南方に流布していた。清代中期になると全国的に流行し、乾隆年間(1735―95)に「三慶」「春台」「四喜」「和春」の四大徽劇団が相次いで北京で公演を行う。これが有名な「徽班進京」だ。清の道光、咸豊年間(1820―50、1850―61)になると、徽劇は北京で湖北漢劇などと結びつき、次第に京劇を形成していく。徽劇はあらゆるものを包括し色とりどりにきらめく、芸術の宝庫であり、新安文化のさん然と輝く重要な1ページである。